2023 川の道フットレース千曲川ステージ スピンオフ川の道2019 野沢温泉村にて

2017年の5月。私は川の道フットレースのスタッフとして関わった。

2018年の5月。この年も川の道のスタッフとしてレースに関わった。

2019年春。私は一本の電話をかける。SAJ事務局代表宛て。

私設エイドを開設する旨の報告と了解を得るために。かつてレースに関わったスタッフの最低限の礼儀として・・・。

「開設場所は?」と聞かれた。 私は「野沢温泉村です。」と答えた。

私費を使って5m×5mのタープテント、風雨除けのシェード、大きなキャンプテーブルに椅子6脚。潤沢な水と食料、ガスコンロ、カトラリー類、そして石油ストーブ。

この計画を伝えた時、多くの川の道を経験したランナーが私を強く引き留めた。ソロで且つ女性ひとりでの私設エイド設営は危険だという理由で。でもそれらの助言や説得は私を引き留めるには無力だった。

5/2の早朝 上江橋エイドにほど近い自宅から野沢温泉村へと一人車を走らせる。

関越道から上信越道へ。悲しいことに運転は得意だ。(女性らしくない。こんな私嫌いなんだよ)と思いながら悲しくも自慢にならないアクセル&ハンドルワークで長野へと向かう。(仕事柄運転はうまいのだ。本当は運転下手の助手席が似合うような女になりたいのに。)

左に見える山域。ちょうど今頃、川の道フルのランナーはこの山域と戦っているんだと。。。低く雲が降りている山域に目をやりながらアクセルをさらに深く踏む。峠は曇りで済んでいるだろうか。それとも雨垂れがレインを伝っているだろうか。。。

2017年の5月の川の道を終えてからこの時まで、私は地図がなくてもナビがなくても大丈夫なくらい川の道の地図を眺め続けていた。もともと道を覚えるのは得意な方だけれど。。。

途中、何処かに寄り道してもフルのトップランナーが着くよりも十分に早く目的地の野沢温泉村に着けるのに、私はまっすぐに野沢温泉村に向かった。

野沢温泉村 市川橋の袂。 ここが私の決めた私設エイド場所だ。

理由はいくつかある。 飯山市と野沢温泉村の境付近にあるローソンから次のともぷーエイドまでおよそ20キロ深夜から早朝まで無補給区間であること。この20キロの区間には公衆トイレがないけれども車ならば公衆トイレまで短時間のロスで連れて行ってあげることが可能であること。あとは。。。とにかく暗く寒く寂しく心が折れる区間であるから励ましてともぷーエイドまで繋げたかったということ。

5/2の午後の早い時間に市川橋の袂の広い路肩に私は車を停めた。申し訳ないけれど路肩のど真ん中に意図して。流行りのキャンピングカーの野営場所にならないように。かなり意地悪な駐車の仕方だ。。 でも申し訳ないと思いつつ。。。(やっぱり何台かのキャンピングカーが私を睨みつけながら立ち去った。ドライバーならこの場所が都合いいことがわかる。でも、川の道のランナーを思ったら、申し訳ないけれど私はこの場所を独り占めさせてもらった。)

明るい時分に シルバーの80系VOXYが私の車の脇に停める。SAJの代表だ。ここでやるのか。いい場所だ。あっちゃんありがとう。と。一言二言、挨拶をしてVOXYは去って行った。

私はここで5/4まで居続けることを決め込んでいた。 たとえ一人でも。

ランナーが来るから。

5/2 午後7時。トップランナー通過。Iさん。元気そうだった。予想よりとても早くて驚いた。

その3時間後だったろうかMさん通過(この年の一位での完走選手) 私が声かけたら、『あっちゃーん、今調子いいんだよー!止まらないで行くねー!』と市川橋沿いの下りを颯爽と降りて消えていった。(その後、彼は律儀にあっちゃんエイドに寄らなくてごめんなさい。大変な思いして私設エイドを開設してくれているのに僕はそれに応える気持ちがなく小さい人間だったと。。 私はそんなことを微塵も感じていないけれど、そんなランナーMさんの想いがあたたかい。)

それからしばらく静寂と闇が訪れて。。。。 私も闇に飲み込まれ一瞬、星の瞬きくらいの短い瞬間、眠りについてしまった

その間このレースでたった1人。。。

応援を直接できなかったランナーが通過する。

MIDさん。私がエイドを開設するのを伝え聴いてくれたのに。私は彼を送り出すことができなかった。。 今でも悔いが残っている。

そのあと深夜に震えながらSBSBさん。

ストーブに当たりながらミネストローネを食して。 『寂しいだろうにごめんね。ありがとね。』と。

そう言われても、私の方こそがランナーからギフトを受け取っている身なので返事に窮してしまう。この場で私こそがランナーから金銀に換えられない贈り物をもらっているのだ。

その後もトップレベルのスピードランナーと出会い、一時の休みの後別れる。それを繰り返す。。後。。

Kちゃんがランナーの応援にと幼い倅と共にきてくれた。 幼い倅には苦痛であろう何もない道の路肩なのに。それにも関わらず、倅は甲斐甲斐しくランナーを応援し続けてくれた。

私はKちゃんが来てくれたおかげで自分の休息の時間を得ることができて、飯山市と野沢温泉村の境にあるローソンまで車を走らせることができた。

そこでアイスコーヒーと菓子を買う。

入り口にはフルのランナーが座って食事をしていた。

『頑張って下さいね。この先にエイド出していますから。』と声をかけた途端、

『俺何やっているんですかね。』と。

人目も憚らず肩をガタガタと振るわせ、『俺何やってるんですか、俺。』と泣き出す。

感情のままに。。。

返事ができない。。

待ってるね。 この先ね。

と言い、彼と別れた。

5/3の夕方あたりから未明までは目まぐるしくランナーが通過する。

その頃にMRPさんたちが私設エイドの加勢をしてくれて

公設エイドを上回るほどの豪華で立派な私設エイドに膨らんだ。 星の明かりしかない暗闇に明るいランタンとヘッデンの灯り。私は満ち足りた。今でも他の言葉は思いつかない。

エイドにはたくさんの応援者が集まりテーブルには溢れんばかりの食べ物と飲み物がランナーに提供されました。

 

夜が明けて、ランナーのピークが過ぎる頃。 1人のハーフのランナーが寒さ避けにコンビニでビニール合羽買ってそれを着ながらたどり着く。

『これが川の道か。』と呟いた彼。寒さと睡魔で意識が朦朧としながらも故郷焼けした褐色の肌。時折私に向ける目線は故郷に繋がる海へと続いていた。

そして、賑やかに7名ほどの集団が、やってくる。Rちゃんと彼を慕い必死についていくランナーたち。Rちゃんは人情ある優しいランナーで、川の道で出会うランナーをいつの間にか仲間にして最後は大集団になってゴールする。Rちゃんの周りのランナーは皆眠そうだ。『俺が一本煙草吸ったらすぐ行くぞー。』と彼は引き連れてきたランナーに声をかける。そして彼は大きな笑顔を私に見せてくれた後先へ進んだ。彼は眠くて歩けないランナーの手をしっかり握っていた。

ランナーが切れた頃

私は空腹を満たすため、野菜を切り塩胡椒で調理していたところに1人のランナーが。こんな野菜炒めを食べるか?と聞くと

野菜が食べられるとは思わなかった。と。。

フライパンにバターを落としトーストを焼くと、そこにランナーが。

こんなトーストでも食べるか?と聞くと。

トーストってこんなに美味しいんだ。と。。

そんな出会いの中で、

精神が大きく混乱して、大声で話しかけ、テーブルの食べ物を手で地面に叩きつけて去るランナーもいる。間に合わない間に合わない!と叫びまくりながら通過するランナーもいる。。。

そして、

5/4の朝9時半。旧三箇小の関門に本当に間に合わない時間がやってきた。エイドを閉じる時間だ。

私は。。。

この後旧三箇小、和田邸経由で新潟に向かうつもりだった。

でも。。。まだ到達していないランナーがいる と。

思った。

タッパーにフルーツ缶を開け、サイダー。紙コップ。そしてスプーン。

それらを助手席の椅子に置き

長野市方面へ戻った。

程なく

完走を諦めたランナー。感情が溢れ出して泣き出す。

そして、完走はできないことを分かっても、旧三箇小を出発する友を見送って自分の川の道を締めるんだと全力を出し切るランナー。

そして。。川の道は明日の夜まであるんだと、中野市の川の道にて竹刀を身体の支えにして歩一歩進む夕陽ゼッケンのランナー。腰が折れて傾いていた。100メートルも歩き続けられない。何度も立ち止まって、そして進む。

今、これを書いていて。

4年前のことなのに感情が揺さぶられる。涙がとまらない。

何を書きたいのか

纏まらないけれど。 この出来事が私の心に留まってい続けているから

今回 2023川の道のハーフを走ったと。 それはわかっている。

2023 川の道フットレース千曲川ステージ スピンオフ川の道2019 野沢温泉村にて” への1件のフィードバック

追加

  1. 毎回川の道は、色々な形で川の道の戦士たちを試して来ます。2019年の川の道が今年の川の道にどうつながるか楽しみです😊

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